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「中秋節」にあたって夏の思い出を振り返りました

2011/09/12 02:29

 

  台風接近で色んな行事や予定が延期になったり、中止になったりしているウチに9月も半ばになってしまった。

 

 今でも昼間は暑いのだが、とにかく、道路をわたっているだけで汗が吹き出し、全身が溶けそうだった台北の夏の強烈な日差しもようやくやわらいで、朝晩は「秋」を感じさせる気候になってきている。

 

 さて、9月12日は「中秋節」。

 

 日本でいうところのお月見なのだが、こちらでは祝祭日の扱いで、日本のお盆休みのように皆さん実家に帰省して、一族郎党で月餅を囲んでご馳走でも食べましょう(屋外でバーベキューというのが定番)、という機会なので、9日の帰省渋滞の後は、台北の街もひっそりとしている。

 

「たった一度きりの4●歳の夏も終わりだよ。どうしてくれる」と支局の美人助手に理不尽にからんでみたものの、彼女は肩をすぼめて両の手のひらを見せ、「11、12日はお店もみんな休んじゃうから、食べものを多めに買っておくようにネ。それじゃ、また火曜日に~!」と、早々に高雄の田舎に帰省してしまった。

 

 こういう機会は、少し締め切りが先の企画の原稿書きや、たまった資料の整理などにあてるべえか、と書類棚を開けたら、奥から色紙1枚が出てきた。

 

 小学館が月2回発行しているマンガ雑誌「ビッグコミックオリジナル」に連載の「釣りバカ日誌」の作画者、北見けんいち氏(70)らの色紙である。

 

 

 

 同誌の9月20日号からは「台湾編」が始まっているが、実は北見氏(写真中央)と原作者のやまさき十三氏(70)(左)は、東日本大震災への巨額の義援金に感動して台湾編を企画し、実際に7月11日から14日まで、台湾の澎湖島や台北を取材旅行している。その取材旅行を、取材した際にいただいたモノなのだ。

 

 

 

 もちろん原稿を書いて出稿したのだが、大変間の悪いことに、その日は他のニュースがいっぱいで紙面からあふれてしまい、早い話がボツになってしまったという、痛恨の思い出なのである。せっかくなので、夏の総括として、ここで紹介しておこう。

 

 同行したのは台北・松山空港近くの釣り堀で、さすがにやまさき氏は約4キロものボラ系の大物を見事にしとめていた。一方「釣るよりも食べる方」という北見さんも、集まった人々とイラストで交流し、小さな日台交流の輪を広げ、台湾の皆さんへのお礼のメッセージも書き添えられていたことを公表しておく。

 

 

 

 と、ここまで書いたところで携帯にメールが入った。

 

台北の駐在員の間では夜間語学学校として有名な「五木大学」の漢語と台湾語の先生方から「どうせ自宅でカップめんをすすっているんでしょう。バーベキューをやるから食べに来なさいよ」と。

 

 前にも書いたが「五木大学」とは台北最大の飲み屋街、林森北路(銀座と新宿ゴールデン街を足して、大阪・北新地とミナミで割ったような街)のことであり、先生方とは言わずと知れた、粋筋のお姐さん方である。

 

 「へい、行きます」と、こちらで購入したジャイアントの自転車「大東亜號Ⅱ」にうちまたがって支局からサイクリング。

 着いてみれば、なんと一族郎党が店の前で堂々と火をたいており、拍手で迎えられて、仕事の合間にちょっとまともな食事にありつけた巨漢記者なのであった。

 

 

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見えざる敵との戦いの日々でした。

2011/08/16 00:42

 

 しばらく更新が止まってしまい、各方面からご心配いただいたのだが、そのご心配通り。慣れない海外転勤の疲れか、はたまた台湾の尋常ならざる暑さとスコールのせいか、あるいは単身赴任の乱れた食生活のせいか、総統選挙前の各種緊張感からか、とうとう夏風邪に襲われ、さらには腰をやられてしまった。

 

 

 もちろん、それだけではなくて、ブログの更新どころではないスゴイことが、他にも連続して起こっていたのも事実だ。

 

それが個々に、どれだけスゴイことかと問われれば、マンションの風呂場の配線がショートしてあやうく火事になりかけたこと以上の連続であった、とだけ、今は申し上げておこう。

 

とにもかくにも異郷の夏風邪は、のどと鼻の痛みがひどく、微熱でピークの3日間は、這うようにして支局に出てきて、なんとか乗り切ったものの、腰痛という伏兵は突然やってきて、かつまた、大変しつこかった。

 

思えば97年の香港返還取材の際に、車から降りた瞬間、初めてのぎっくり腰をやったが、思うに、状況からみてどうやら長期のベッド暮らしが祟ったらしい。

 

実は日本の自宅では畳の上にせんべい布団。あるいはせいぜい板バネのベッドだったので、こちらのホテルや、マンション備え付けのふかふかタイプのベッドは、(巨漢ゆえ自重で必要以上に)腰が沈みすぎて、良くない、と悟った次第だ。

 

とにかく、腰にきてしまったものは仕方がない。マッサージ店には不自由しない台北なので、毎週2回、自宅斜め前の、やや値は張るが整骨、整体では名の知られたマッサージ店で屈強のオヤジの施術を受け、最近ようやく一息ついた次第だ。

 

結局、ベッドの問題はマットの上に固めのゴザを敷いて改善を図った。

 

そうそう、台湾を訪れる読者のためにマッサージ店選びの際のコツをお伝えしておくと、外国人客が多いホテル付近の、いかにも観光客向けの「マシサーヅ」と書いてあるようなお店は避けたほうが無難なような気がする。

 

 

所詮、その程度の看板を出すような店だから、シロウトに近いメンバーをバイトで雇っているような雰囲気が漂っている。

 

結果、まったく効かない、もしくは、かえって疲れてしまった場合でも、「は?ウチはマッサージ店じゃありませんよ。マシサーヅ店です」と言い逃れでもされた日には、相手が正論なだけに、下唇を噛んで引き下がるしかない。

 

やはり、繁華街でも、少し外れた、地元住民を相手にした老舗を狙えば、ゴッドハンドに出会う確率は高い。ただし、日本語が通じないケースもあり、旅行者は、そのあたりは一長一短だと心得るべし。

 

それにしても「マッサーヅ」や「マシサーヅ」の看板をかかげている店が多いのは、本当に上記のような理由からではないかと疑ってしまう。

 

冒頭のような「デヅタルアクセサリーショップ」というのも発見したが、「ツ」と「シ」は確かに似ていても、間違える確率2分の1なのに、なぜか正解は5分の1くらいの感じだ。

 

台湾の看板屋さんは逆に覚えてしまっているのだろうか?

 

ちなみに「スシポン」というのも発見したが、ここでも看板の絵をみて、スッポン料理で精をつけようとした日本人客が「食っても、ちっとも元気がでなかったじゃないか」とねじ込んできた場合、「スッポンが食いたきゃよそへ行っとくれ。ウチのスシポンは心静かに、しみじみ食うもんなんだ」てな光景が展開されているのだろうか?

 

 

さらに余談ながら、巨漢記者の通った自宅のはす向かい高級マッサージ店のすぐヨコには「小室哲哉」という名前のマンションがあって、入居者募集の張り紙をよく見かける。

 

 

一時期、5億円が絡む事件で話題になった小室さんだが、果たして台湾の不動産業者にマンション命名の権利をお売りになったのだろうか?

 

どこからみても小室さんの名前を冠するような億ションには見えないのだが…。

 

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段ボール箱抱えたまま灼熱地獄に突入しました

2011/06/28 00:50

 

ひゃあぁ~、暑、アツ、あっつ~う。

 

国外退去を命じられることもなく。めでたく居留証が交付されたので、さっそく台湾の銀行に口座を開設すべェかと外に出たら、「真夏の大阪でもここまで暑ないやろ」級の熱風が全身を包み込み、太陽がいっぱいだ。

 

日本も6月で猛暑日到来だそうだが、今年の台湾の暑さはネフド砂漠以上かもしれぬ。

 

支局の目の前の、ちょいと広めの道路をわたれば、そこに銀行があるのだが、ちょうど信号のタイミングが悪く、交差点で数分間待たされている間に、巨漢記者の全身はほどよく蓄熱。その後アスファルトの照り返しを受けつつ横断歩道を渡り始めたら、堰をきったように汗がだくだく、パンツまでびちょびちょ、あ~、もう今日は仕事にならんわ~、てな感じなのだ。

 

 

銀行口座を開設した後は、近所で昼食をとるつもりだったが、早々に支局に帰還。クーラーの前で、ハフハフといいながら仕事をしていたら、台風の接近もあってか、午後は一転、ものすごい豪雨に。

 

一機に気温が下がったのはうれしいが、台中で行われる予定の国民党の全国代表大会が台風警戒で1週間延期になるという。あ~、やっぱり午後も仕事にならんわ~。

 

落胆する間もなく、「こういう時こそ、段ボール17箱におよぶ船便荷物を整理してしまおうう」と、前向きに考えて早めに自宅に帰って箱を開けまくっていたら、夜半、なんと風呂場から白い煙があがっているではないか。

 

「か、火事かな?」

 

 全身が凍てつき、ほんの一瞬だけ涼しくなったが、それどころではない。

 

「困った困った、こまどり姉妹、まいったまいった、マイケル・ジャクソン…」

 

関西人はこういう時、秘密の呪文で自分を落ち着かせるのだ。

 

(あわてるなかれ、風呂場である以上、水は豊富だ…)

 

呪文で心は落ち着いたが、身体の方は忠烈祠の衛兵交代(下図参照)のように、ロボット風にしか動かない。

 

 

それでもバックドラフトに注意して浴室の扉を開け、手ぬぐいでマスクをして、蛇口全開でシャワーヘッドを手に、煙のでている場所に接近すると、浴槽下の奥の方で金属音とバチバチという音、そしてハンダごて使用時のような焦げた金属臭が排水口からあがってくる。

 

これは電気系統の不具合に違いないと判断し、ブレーカーを落とすと案の定、煙はぴたりと止まった。即座にマンションの管理人にも見てもらったが、どうやら不完全な工事によるショートらしいという。

 

さっそく責任者の「日朋J宅」のGさんに連絡し、大家さん経由で部屋の内装業者を割り出してもらったが、Gさんは「大変申し訳ございません。業者の修理は明日の朝一番になります」という。夜中だから仕方ないが、その間はブレーカー落としたままだから、暗闇の中で段ボール箱の荷解きもできず、クーラーもきかない部屋で、ベッドの上で蒸しパン状態で朝を迎えた。

 

あ~、結局、夜も仕事にならんかったわ~。

 

と、いうハナシを、翌日、赤い目をして、他社から「影の支局長」とウワサされている美人助手にしたところ、「大変でしたネ。でも台湾のことをキライにならないでくださいネ」と殊勝にも、マンゴーかき氷をテイクアウトで買ってきてくれた。

 

「ああっ、すびばせんネ。いくら?」

 

胸ポケットから100元札を出すと、お札も汗でびちょびちょで…。

 

彼女は一瞬イヤそうな顔を浮かべ(たような気がした)、すぐに微笑んで「可哀そうだから、おごってあげます」という。さすが影の支局長だ。まことに申し訳ない。

 

ちょっとだけ、気分よくなったので、汗びちょびちょでも頑張って仕事をしようと思い直し、この日始まった台北フード博覧会の会場にむかった。

 

目当ては各国のシェフが腕をふるう美食…、ではない。断じて!

 

真の目的は台北駐在の各国の代表や幹部との顔つなぎだ。ここにくれば、台北に窓口機関を置く各国幹部らと、会場を一回りするだけでいっぺんに名刺交換ができると踏んだのだ。

 

もちろん最重要課題はAIT(米国台湾協会)だ。

 

ご想像通り、米国の持つ情報量はずば抜けて大きい。台湾への武器の売却など、軍事面で膨張する中国との極東のパワーバランスのカギも握るだけに、絶対に外せない。

 

受付で聞けば、米国の所長は他行中だが、きょうは副所長が来ているという。副所長は中国語が話せると聞いているので、チャンスだ!

 

人込みをかきわけ、米国のブースに到着すると、ちょうど米国の牛肉を売り込むための公開クッキングの真っ最中で、副所長自らがエプロン姿にはにかみながらフライパンを握っているところだった。

 

そう、この右の人がエリック・マジソン副所長だ。

 

 

調理が終わった瞬間に、すかさず駆け寄って名刺を切り、「初次見面」(はじめまして)と自己紹介。「請多関照」(よろしくお願いします)と語りかける記者に、「歓迎!日本的朋友!」(日本の友人を歓迎するよ)とカタイ握手で答えてくれたが、どことなく(なんでヒトがこんなカッコウしてる時に来るのよ)といわんばかりの、照れ笑いを浮かべておられたので、申し訳なくなってしまった。

 

しかし、マジソン副所長は、自らが焼いたビーフステーキをその場で切り分けてくれたうえに、ジンジャーペッパー入りのステーキ用ソルト(試供品)までお土産に持たせてくれるというスマートなふるまいで、記者のハートをがっちりつかんだのである。

 

もちろん、アメリカンステーキの後は、イタリアフランスなどの美食に続いて、日本酒や泡盛が並ぶ我が日本のブースなどを総なめにしたが、それはあくまでもついでであって、真の目的は各国交流機関幹部へのあいさつ回りだった、と重ねて力説しておきたい。

 

結局、あちこちのブースで配られた様々な試供品は、マンゴーかき氷のお礼に全部助手に持って帰ってもらった。助手は大喜びだったが、よく考えたら試供品は全部タダなので、なんだか申し訳ない気分になりつつ、汗だくで野党・民主進歩党の会見場に向かった巨漢記者なのであった。

 

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ガラにもなくAKB48の訪台を取材をしました

2011/06/19 03:00

 

 ライチの香り漂う海外支局に、その指令は突然飛んできた。

 

読者諸兄よ「ミッション:インポッシブル」のテーマ曲を思い浮かべてほしい。

 

台湾の有名な音楽賞「第22回流行音楽金曲賞」の授賞式に、日本の人気女性アイドルグループAKB48がゲストで出席するので取材せい、というのだ。

 

 

 だが、式典が行われる18日は、馬総統の再選出馬の際の副総統候補が前後して発表される時期にもあたっており、「残念ながら芸能ネタまでカバーする余力がございません!」と体裁よく断わろうかと思っていたら、「式典には馬総統も現職総統として初めて出席するそうだよ」「ついでにいうと副総統候補と目されている呉敦義行政院長(首相に相当)も出席の予定だよ」

 

「…」

 

と、いうわけで、警戒もかねて行ってまいりました。会場の台北アリーナに。

 

そもそも金曲賞とは何か?

 

台湾の行政院新聞局が毎年、台湾で流行した音楽作品の歌手や、作曲家、作詞家らに贈っており、その授賞式典の模様は民放テレビ局が持ち回りで放送しているのだ。

 

今年は台湾電視公司(台湾テレビ)が担当のため、取材の申し込みも、配布資料その他も台湾テレビが窓口となる。

 

 記者証を発行してもらい、午後3時にオープンするという会場地下のプレスセンターに、15分くらいの余裕をもって向かったのだが、ドアの前には、台北でも最古参のAP通信とAFP通信の名物カメラマンがデンと陣取っていた。

 

聞けば両人とも30分以上前に来たというから、式典の重さが推し量れるではないか。

 

しまった!これはゲストのAKB48とて軽く見るわけにはいかんゾ。

 

そういえば、先週12日にも、台北市内にAKB48の海外公式ショップがオープンし、そのイベントに、メンバーの渡辺麻友さん(17)が駆けつけたところ、熱狂的なファン約700人が殺到して大騒ぎになり、台湾メディアも大きく取り上げて社会現象となっているのである。

その後、公式ショップは、もっと広い場所に移す必要に迫られて一時閉鎖中とも聞いている。

 

思い直して、さっそく記者会見場に場所をとり、開いたばかりのプレスセンターから、遥か日本の大阪にいる古巣の僚紙「夕刊フジ」のオタク面担当、K清政典記者に電話を飛ばして事前取材を行った。

K清記者は職務上だけでなく、本人も純然たるオタクなので、こういうジャンルには滅法詳しい。余談ながらK清記者は、家族で草野球チームが結成できるほどの子だくさん記者としても有名である。

 

で、台湾電視の配布資料にしたがって、来台メンバーの名前を読み上げていくとK清記者は「あっ、小木曽汐莉ちゃん(18)は姉妹グループSKE48のコでっせ」

 

「山本彩ちゃん(17)はNMB48のメンバーですわ」

 

「AKBとSKEとNMBのそもそもの位置と関係はでんなァ…」と、説明してくれるのはいいが、専門用語がマシンガンのように飛び出し、話の時系列もバラバラでさっぱり要領を得ない。

 

「AKBの梅田彩佳さん(22)は選抜総選挙で22位のコですわ。けっこう上位でっせ。大家志津香ちゃん(19)は確か29位でしたかな」

 

「その選抜総選挙ってなんやの?」

 

「あ~、そうか~、まずそこから説明せなあきませんか~?」

 

 イラっときたが我慢、我慢。

 

悔しいが1項目の説明に5分以上我慢しながら、何とか全容を把握した。

 

大半は記事に必要のない情報だったが、オタク記者によるオタクな説明に耐えた自分の忍耐力をほめてやりたくなったくらいだ。

 

そうこうしているウチに記者会見がはじまるという。

 

ぞろぞろとAKB48とSKE48、NMB48から選抜の混成部隊が、フリフリいっぱいの衣装で現れるや、シャッターとフラッシュと歓声の嵐だ。

 

 

台湾のカメラマンはけっこう荒っぽく、記者もかつて青アザつくるくらい押し合った経験があるのだが、こういう取材のときは「コッチムイテ~」「カワイイネ~」と日本語も飛び出して、大サービスだ。

 

16人は式典終了後、即座に帰国するという強行軍というが、「台湾では何が食べたいですか」との報道陣の質問に「恋の味がするというライチが食べたいで~す」とはお見事。ただいま台湾はライチのシーズンで、もう少し経つと龍眼の季節だ。事前のコメント準備も万全といえよう。

 

式典の舞台では、梅田、小木曽、山本の3嬢が、日本でも人気の台湾の男性アイドルグループ、飛輪海(フェイルンハイ)のジロー、ケルビンらと一緒にトークを展開しながら最優秀作詞家賞などを授与。また16人が全員で「ASIA TOP 桜の花からの祝福」と題し、持ち歌のメドレーで、台湾の熱狂的なファンから熱い声援を浴びていた。(舞台写真は台湾電視提供)

 

 

そうそう、警戒対象の馬総統(写真下・台湾テレビ提供)と呉行政院長の方だが、特にこれといった発言もなく、式典は閉幕となった。

 

 

そういえば今朝は、段ボール17箱におよぶ船便荷物がようやく日本から届いたことを思い出し、ちょっと疲れて家路についた巨漢記者なのであった。

 

 

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いろいろありましてさっそく宿替えをしました

2011/06/13 01:36

 

前回ブログから少し時間が経ってしまい、一部読者から「大丈夫か?慣れない台北で迷子になってしまったのではないか?」との愛情あふれるご心配もたまわったが、実はちょっとしたトラブルに巻き込まれ、てんてこ舞いの日々だったのである。

 

正直に申し上げると、前回、せっかく契約にこぎつけた賃貸マンションに重大な欠陥があったことが入居直後に判明。早々に引っ越しを余儀なくされたのだ。

 

重大な欠陥とは何か?

 

水が出ない?(N0!部屋の設備は、民宿並みの広さの浴槽を含め、完璧だった)

 

毎晩、枕もとに悲しげな表情の美女が立つ?(むしろ大歓迎する!)

 

実は「新聞が届かない」ことが判明したのである。

 

日系不動産業者が「24時間、警備員を配置してまっせ!」と説明していたのは実は誤りで、現実は午後7時半から翌朝午前7時半まで警備員は不在。機械警備に切り替わり、午前6時半に届くはずの現地紙4紙は約1時間、住民しか開けられぬマンション表玄関の前に放置されたあげく、盗難被害にあったのだ。(郵便受けは玄関の中にある)

 

毎朝現地紙のチェックから始まる仕事である以上、これは致命的だ。

 

この点、業者は潔くインフォメーションミスを認め、さっそく同程度の立地、家賃で24時間警備の好物件を探してくれたのだが、いずれも家賃が跳ね上がるか、広さが今より格段に見劣りするなど、条件面が悪化するため、窮地に陥っていたのである。

 

そんな時、後ろからポンと記者の肩を叩き、さわやかな笑みをたたえて立っていたのが、前回も登場した現地不動産業者「日朋J宅」のGさんだ。

 

Gさんのオフィスは支局のはす向かいなので、銀行に行く途中、バッタリと道で会い、「久しぶりの台北生活はいかがですか?」と声をかけてくれたのだ。

 

「いやあ、実は…」と苦境を説明すると、Gさんは「ふふん」と不敵な笑みをうかべ、「アンタは、いずれワタシのところに戻って来ると確信していましたよ」といわんばかりの勢いで、「偶然ですね。ちょうどそれくらいの物件が入ってきたところです」と、資料を出してくる。

 

もう一刻も早く住宅問題を解決し、仕事にかかりたかった記者は、「この件、Gさんに全権委任しますわ」と無条件降伏。で、週末は再び荷物をまとめて引っ越しを強いられていた次第だ。

 

新たな部屋は、有名なホテル「国賓大飯店」(アンバサダーホテル)の近くで、地下鉄の駅にも近く、支局まで歩ける距離。家賃に比較して部屋も広々としており、もちろん新聞も購読し放題の24時間管理の好物件だが、Gさんの美的感覚は前回ご紹介した通りなので、写真なしで勘弁していただきたい。部屋の内装については…、口が裂けても言えぬ。墓場まで持っていく覚悟、とだけ申し上げておく。

 

その代りといってはなんだが、今月4~6日、旧暦の端午の節句にあわせて淡水河で行われた龍舟比賽(ドラゴンボートレース)の写真を掲載しておこう。

 

 

梅雨もほぼ明け、気温37度という、日本なら夏本番の暑さの中で、職場や大学ごとのチームが呼吸をそろえてともに汗を流し、なかなか楽しそうだったが、どういうワケだか、会場のいろんな場所にお相撲さんのマスコットがあふれているのが印象に残った。

 

 

日本の空調機メーカーがCMマスコットに使用しているせいかも知れないが、第1回のように、台北を歩いていると時々「一緒に写真を撮らせて!」と親しげに声をかけられる理由のひとつかも知れぬ。

 

おまけにもうひとつ。来年1月に総統選挙をひかえ、12日午前、台北市の市長公館を舞台に、現職の馬英九総統の選対本部立ち上げのセレモニーが行われたのを見てきたが、ホットパンツ姿のお姉さんたちが踊りまくるなど、その派手さがいかにも台湾らしかったので、思わず写真を撮りまくってしまった巨漢記者なのであった。

 

 

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台北の賃貸物件探しでちょっぴり後悔しました

2011/06/05 10:24

 

 とにもかくにも台北支局に着任した以上、いつまでも台北の駅前旅館に滞在するワケもいかぬ。住所が決まらなければ居留証の申請ができず、身分証がなければ銀行の口座もつくれないからだ。


 取材やあいさつ回りの合間を縫って、さっそく日系と現地系の不動産屋さんのおすすめにしたがい、めぼしい下宿の物件巡りに入った。
 

 2006年~07年の、台湾大学留学の際に経験があるのでよく知っているが、台湾では人に貸すために家を購入するのは日本以上に一般的な資産運用行為。だから賃貸不動産の企業所有物件は希で、ほとんどは個人の所有物件だ。
 

 それゆえ物件の内装や立地条件はよくても、大家さんが異様にケチだったりすると不愉快な思いをする。逆に、多少狭かったり、建物が古かったりしても、気前のいい大家さんなら、家賃も手加減してくれるし、必要な家電や家具を借り手のリクエスト通りに買いそろえてくれたりするため、ある面、部屋というよりも、「ウマの合う大家さん探し」のような側面もあるのだ。
 

 で、前回もお世話になった現地系で、日本人駐在員を相手に実績を積んできた「日朋J宅」の旧知のGさんに電話して、希望の家賃を伝え、あがってきたリストを、間取りでふるいにかけた後、車に乗せられて台北の街に飛び出した。
 

 駐在員は日本人学校のある台北市北部・天母周辺の高級住宅地に住むケースが多いが、こちらは当面単身赴任のため、支局の近くで、かつ夜の五木大学(林森北路=台北最大の飲み屋街)の近くがいいなあ、そうだ、社の上層部からはダイエットせい、とも命じられているので、前回のようにサウナやプール付きなら最高だね、と、車の後部座席で勝手なことを話していたら、さすがはGさんだ。
 

「きっと、ここはご希望に沿いますよ」と、市中心部のとあるマンションの前へ。
 

 なるほど地下鉄の駅近くで、立地は最高。近くには日本の食材が豊富なスーパーもあり、何より、一階にはホテル形式のフロントがあって、管理人も多く、有料ながら清掃やランドリーサービスをお願いすることができる。
 

 敷地には雨の日も泳げる半露天の巨大なプールとフィットネス設備。上階にはサウナもあって、「住民の使用は全部タダ」だという。

 


 「おおう、ここの共用設備はパーフェクトですな!」

 


 部屋は11階というから、日当たりと眺望は間違いなしだ。


 チーン、とエレベーターの楽しげな音を聞きつつ、Gさんの後について廊下の一番奥へ。    
 

 「ほほう、角部屋じゃないですか」
 「中はメゾネットなので2階もあります。広さは保証しますよ」


 ガチャリとドアを開けて中に入ると、台湾では珍しく下駄箱や靴脱ぎのスペースもたっぷり余裕があって実に清潔、かつ便利だ。
 

 「最高じゃないですか、ココ!」
 

 だが、一歩リビングに踏み込めば、ウッ、と息を飲んでフリーズしてしまった。
 

 

 ケバケバしい紫色の壁。寝室に続く階段は場末のキャバレーのような真っ赤な絨毯。一部の壁はヒョウ柄模様の全面鏡張り。浴室は2人で向かい合って入れる広々としたジェットバスなのだが、なぜかリビングから丸見えのガラス張り。やたらキラキラ輝くガラス玉の飾りが壁と電灯を覆いつくし、大変申し訳ないが、寝室のベッドは、もしや電動で回転するのではないか、と思わずスイッチを探してしまったほどだ。
 

 

 「Gさん、こ、これは…」
 「いいでしょう。すごくオシャレでしょう!」


 本気でいっているのか?
 日本人と台湾人は、色んな意味で心情的に近いとされるが、しかしGさん。その感覚に関してだけは、断じて首肯できんぞ!


 「家賃は共益費込みで○万○千台湾元です。このクラスでは破格の安値ですよ」
 

 そりゃ、そうだろう。
 

 どうみてもITバブルか、中国関連株で一発当てた熟年の紳士が、夜の五木大学でひっかけた若いオネーチャンを住まわせるのに、オネーチャンの言いなりになって内装を整えてはみたけれど、諸般の事情が重なった結果、空いたので貸し出します、という雰囲気なのだ。
 

 Gさん。申し訳ないけれど、阪神淡路大震災と台湾中部大地震、東日本大震災を体験したこの身としては、人の命のはかなさを知っている。
 

 もし台北で勤務中、文運拙く不測の事態が生じた場合、この部屋に他人が入ってきて、プっと吹き出しながら「なるほど、故人はそういう趣味のヒトだったか」なんて思われでもしたら、死んでも死にきれんぜよ、と、どういうワケだか土佐弁で結論を出した。
 

 「Gさん。ゴメン。日系の不動産屋さんがね、プールやサウナは付いてないけれど、支局に近くて、ベランダには足湯スペースもある、広くて手ごろな物件を見つけてくれたので、今回はそっちにしますわ」
 

 Gさんは「何と、もったいない!」とでもいいたそうな顔を浮かべているが、留学生ならまだしも、今回は正規の特派員である以上、社の体面、名誉にかかわるような事態は極力避けねばならぬ。


 で、翌日、日系の「台湾Eブル」で保証金をおさめ、契約書に押印していると、Gさんから携帯に電話がかかってきた。
 

 「大家さんから、もう1万元値下げしてもいいと電話がありました。この商売をはじめて長い私ですが、過去に例のない安さですよ。なんでも、癒しを求めて外国に旅行に行きたいそうで、手取りは減ってもいいから、早く物件の借り手をみつけたいそうです」


 エッ?ええっ!
 

 1万台湾元といえば日本円で約3万円。総額を計算すれば破格も破格、大破格だ。大家さん、いったいオネーチャンと何があったか知らないが、もう人生破れかぶれとみた。


 しかし、そんなに値引きする気があるなら最初から言ってよ!人間そうそう簡単には死にゃあせんぜよ!と、どういうワケだか土佐弁で後悔した巨漢記者なのであった。
 

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大相撲の八百長談義で冷汗三斗の思いをしました

2011/06/02 22:04

 

 今を去ること4、5年前、社費留学で台湾大学に学び、約8カ月間暮らしたことのある台北なのだが、この6月1日から台北支局を受け持つことになり、5月31日夕、羽田から台北松山飛行場に降り立った。

 

 支局には1日午前に出頭する段取りだったため、前任支局長の山本勲大先輩(中国総局長兼論説委員室論説委員)に「無事到着しました」の電話を入れて台北駅前のホテルに荷物をおろし、勝手知ったる市中心部の餃子の名店「龍門客桟餃子館」を訪ね、名物水餃子(1個7台湾元=約20円)を15個と台湾ビールを注文した。

 

 この店は、戦後、蔣介石とともに来台した山東出身の老兵が始めた老舗。内装も非常にレトロな庶民の店だ。

 店名の入った額には「北平」などという古風な地名が書かれていたりもする。

 北平とは北京のこと。中華民国の国府軍の立場では、首都はあくまで南京、ということになるので、北「京」という表現は敬遠されているのだ。

 

 そういう小道具も含めて、現代風の台湾情緒を味わいつつ、中国語や台湾語のにぎやかな会話が飛び交う中で、待つことしばし。

 やがておばちゃんが足で椅子をどけながら、湯気の中で白くつややかに輝く水餃子を大皿で運んできてくれた。

 

 冷えた台湾ビールをグイと飲み、長い箸で酢醤油をからませ口に放り込む…。

 

 「うまいっ!」

 

 蔣介石の台湾統治に厳しい意見を持つ台湾本省人の頑固なおじいちゃんが「それでも中国中の美味がぜんぶそろっている点だけは彼を評価します」とウインクしながら話してくれたのをしみじみ思い出す。

 

 やおら2つ目をほお張ったところで、ふと顔をあげると、隣のテーブルで食事を終えた60年配の、桂小金治風のおじさんが、ジロジロと記者の方を見て、ニヤリと笑みをうかべつつ、右手の親指を立てている。

 

 で、片言の日本語で、

 

 「オスモウサン?」

 

 なるほど!

 

 ホテルで背広を脱いで旅装を解く間に、すっかり日も暮れてしまったため、寝間着代わりの紺の作務衣に着替え、石底足袋と雪駄にカンカン帽、渋の扇子という、友人からは「まるで縁日の金魚すくいコーナーのテキヤのオヤジさん」と酷評されたカッコウをしていたのだが、それがおじさんの目には力士の浴衣姿のように見えて、好奇心をいたく刺激したようなのだ。

 

 そう。賢明なる読者諸兄がタイトルからもご想像されている通り、記者は本社では2番目の体重を誇る巨漢である。

 

 しかし、おじさんには申し訳ないが、熱々のうちに全力をあげて名物の水餃子を味わいたかったため、「是」(そうだよ)「已経退休了」(もうリタイアしたんだ)と適当に話を合わせて、持ってきた新聞「中国時報」に視線を落とし、早々に会話をきりあげようと思ったのだが、これがいけなかった。

 

 おじさんは台湾の新聞を読んでいる姿をみて、言葉がわかるとみたのか、好奇心いっぱいの満面の笑みを浮かべて、「やっぱりそうか!いつもテレビで見ているんだ。私は高見盛のファンでね」とマシンガンのように相撲談義を開始し、勝手に記者のテーブルの椅子に座りこんでしまった。

 

 台湾の庶民の憩いの場は、まるで昭和中期までの日本のように、他人との距離が近い。

 

 そのうち「ところであなたに聞きたい。大相撲八百長問題についてだ。私はファンとして大変悲しかった。あなたはOBとしてどう思っているのか?」「あなたが現役のころはどうだったのか?」と質問責めだ。

 

 今さら、新聞記者だともいえず、「確かに問題はあったが、今は協会をあげて再発防止に向けて取り組んでいるところだ」と、何の義理もない日本相撲協会の弁護をするハメになり、おじさんに適当に話を合わせてしまったうしろめたさも手伝ってか、本当に自分が八百長問題の当事者であるかのような錯覚を覚えつつ、「心から反省しています」「がっかりさせてごめんなさい」と頭を下げた。

 

 しかし、おじさんは記者の肩を抱きつつ、「大丈夫。大相撲は必ず再生しますよ。日本の文化は素晴らしい」と優しく励ましてくれる。

 

 思わず、ちょっと涙目になってしまった。

 

 そうこうしているうちに、おじさんの奥さんとおぼしき女性が奥の手洗いから出てきたところ、おじさんがおもむろに自分の携帯電話のカメラを立ち上げて奥さんに手わたし、記者に向かって「一緒に写真を撮らせてくれないか」。

 で、奥さんに向かって「オイ、1枚撮ってくれ。この人はな、日本の元力士だぞ!」。そこでまた記者のほうを向いて「そうだ現役時代のシコ名を教えてよ?」とのたまう。

 

 もはや、これまで!

 

 「スンマセン。実は…」と名刺を切って身分をあかす。

 おじさん夫婦は少しあきれた表情を浮かべながらも、今度は日本の新聞・マスコミ談義を交わして、楽しそうに笑いながら去っていった。

 

 やれやれと、3つ目の餃子をほお張った時には、すっかり冷めていて、おまけにビールも生ぬるく…。

 

  しばらく台湾から離れていたため、カンがにぶっていたが、日本人以上の大相撲ファンがそこらじゅうに普通にいたりする台湾の恐ろしさを、今さらのように思い知った巨漢記者なのであった。

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